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『天皇・皇后と日清戦争』
『天皇・皇后と日清戦争』(1958年・S33)

若いときから傲岸不遜な丹波哲郎のせいで(おい)交渉決裂、日本は清国と開戦。農村に年老いた婆ちゃんひとりを残して高島忠夫が死亡フラグをがんがん立てながら出兵、海では宇津井健が豪快に吹っ飛び、寒い陸地では中山昭二や和田桂之助がバタバタ倒れる一方、神々しいアラカン天皇&高倉みゆきが下々の者たちと心の交流を図るオールカラー超大作。

目を凝らすこと1時間30分後、下関で講和談判中の清国全権大使・李鴻章(勝見庸太郎)の一行を鋭い目つきで睨みつけるロングなもみあげの男・小山六太郎(天知茂)が登場。ふところから銃を取り出しやおら李氏の輿に駆け寄った小山は銃をぶっ放す。弾は李氏の顔面を直撃、小山はただちに取り押さえられ「李鴻章を倒すんだ〜っ!」と叫びながらフェイドアウト。あとすこしで平和裏に条約が締結できるという時だっただけに、日本サイドはこの浅薄行為に大迷惑。温和なアラカン天皇にさえ「犯人は厳罰に処すべし」と言われていた。

厳罰ってどんなのだろう、銃殺刑?磔獄門?などと色々コワイものを想像してしまったのだが、史実によれば小山(史実には「六之助」とある)は無期懲役で網走に送られた後、恩赦で出所、獄中での体験記(「活地獄」)をしたためた上に昭和の時代(78歳)まで長生きしたのだそうだ。

*なお彼の手記と夏目漱石の「坊ちゃん」を融合させた「牢屋の坊ちゃん」という小説(山田風太郎著)があるようだ(「明治バベルの塔―万朝報暗号戦」に収録)。たしかに坊ちゃんチックな風体だった(もみあげ長いけど←そればっか)

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| 映画::新東宝 | 10:53 PM | comments (x) | trackback (x) |
『主水之介三番勝負』
『主水之介三番勝負』(1965年・S40)

紀州家指南役の座を巡り、亡き義父の親友で天地自念流の片倉一閑斎(内田朝雄)と競うことになった鏡心流大塚道場の若先生・大塚玄蕃(天知茂)。技術不足を謀略(と金)でカバーして今の地位を築いてきた彼は、腕がすこぶる立つがちょっと問題児の元師範代・木島弥十郎(近衛十四郎)と仲間達に一閑斎殺害を依頼。目論見どおり一閑斎を再起不能にすることに成功するが、夢殿主水之介(主役:大川橋蔵)という自分には無い剣の腕前とライトな性格を纏った小憎らしい男が帰ってきたせいで歯車が狂い始める。

主水之介はライバル・片倉道場のかつての精鋭で、玄蕃の妻・美緒(桜町弘子)の元恋人。3年前、流派の違いもなんのその、人目をはばからずイチャイチャする相思相愛の関係だったのを、同じく“お嬢さん”に惚れ抜いていた玄蕃が姦計を巡らせて仲を引き裂き、破門に追いやった男だった。案の定、愛しい恋人の帰還を知り、お揃いの鈴をチリリンと身につけて浮き足立つ美緒に玄蕃は激しくジェラシー。おまけに一閑斎事件の真相を聞きつけた美緒は彼を思いっきり毛嫌いし始め、肌すら合わせてくれない。

進退窮まった玄蕃は主水之介をも抹殺してしまおうと計画するのだが、生粋の剣オタクである弥十郎は「あいつと勝負するのはオレだ、それまでは誰にも触れさせん!」と子分達をぶった切る始末で、仕方なく意地とプライドを賭けて御前試合で主水之介と対戦する羽目に。だが爽やかな主演オーラを放つ主水之介に勝てるはずもなく、玄蕃は破れた。弱り目に祟り目といおうか、怪我を負い伏せっているところへ弥十郎がやってきて造反、お前の役目はもう終わった、道場の3代目はこのワシだ、ついでに美緒も貰ってやるから安心しろハッハッハとぶったためにカッときて刀を握った瞬間、障子ごとばさーっとやられて一巻の終わり。享年32歳(←墓石による)、無器用な愛に生き、愛ゆえに死に急いだ脆い男であった。

*この種のヤな男、新東宝時代ならものすごく憎らしげに演じてくれたはずなのだが、ここではイヤミぶりよりも一人の女に尽くしまくる(でも報われない)哀しい一途さが印象的で、色気たっぷりのルックスの良さも手伝って思わず同情したくなる場面がちらほら。

*また美緒さんが、初恋を大事にする純情な乙女、というよりは家や体裁を気にする下心が見え隠れする女性なので余計に玄蕃が哀れだった。最期も「どこにも行かないでくれ・・・!」と美緒に縋って例の鈴を手にしたところで弥十郎襲来、そのまま鈴を握って事切れたのだが、ラストではなぜかお互いの鈴を交換しているいちゃいちゃカップル。美緒さん、せめて鈴くらい握らせたまま葬ってあげなよ!

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| 映画::東映 | 12:56 PM | comments (x) | trackback (x) |
『天下の鬼夜叉姫』
『天下の鬼夜叉姫』(1957年・S32)

将軍綱吉のご時世。豊臣方の生き残り・鶴姫(宇治みさ子)たちは曲芸一座に身をやつすかたわら、夜は鬼面をつけて幕府要人を血祭りに挙げる暗躍を繰り広げていた。ところが旅の途中での難儀を救ってくれた編み笠侍・露木丈太郎(明智十三郎)に鶴姫がフォーリン・ラブ。丈太郎が徳川サイドの隠密だったことから、恋と使命の間で板ばさみになる鶴姫、だけど守役の藤蔵(丹波哲郎)以下残党たちは許しちゃくれない、すったもんだの末、結局お姫様はお咎めなしだよってことで、残党は全員討死したにもかかわらずハッピーエンドという、“女剣士スタア・宇治みさ子”を楽しむことのみに意義があるといわんばかりのあっけらかんとした作品だった。

さて我等が天っちゃんの役どころは、反体制派の島津藩お抱え侍・蒲生重之進。曲芸一座(=鶴姫一行)を助けた後、のん気に街道をゆく丈太郎(キャラはなんとなくウツイ系)の目の前に、藩をスパイしていた怪しい鳥追い女(天っちゃんと悲劇の怪談カップルになる2年前の若杉嘉津子)を追って刀を振り上げながら飛び出したはいいが、どうみてもただの鳥追いではなさそうな女を庇った丈太郎に対峙され、腕をばっさり斬られ谷底へまっさかさま。実は彼女・お綱は丈太郎と同じく、松平伊豆守(江川宇礼雄)配下の隠密だったのだ。

だがブレイク寸前の天っちゃん(しかも新婚)がそれしきのこと(?)で死ぬはずがない。右腕を失った重之進は同じく打倒・幕府に燃える鶴姫の曲芸一座に用心棒として雇われ、すっかりニヒルが板についた浪人になりきっていた。例のごとく丹波さんに良いように使われつつもにっくきお綱を捕らえると、天井から吊り下げて歪んだ愛情を滲ませながら粘着質に苛め抜く重之進。しかし、さあこれからというときにまたしても丈太郎が現われて対決、「地獄へ行け!」と叫んで自分が地獄へ旅立ってしまうのだった。

*いつものようにどんな役でも一生懸命こなしている天っちゃん(左手一本での殺陣も見事)のおかげで楽しめた、ともいえるが、ベースが単純明快なヒーロー・ヒロインの活劇映画だけに、サブキャラのお綱さんに執着しまくる彼の場違いに濃厚なオーラがかえってストーリーを散漫にしているかのような印象を受けた。せめて責める相手が鶴姫だったら良かったんだが。

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| 映画::新東宝 | 10:51 PM | comments (x) | trackback (x) |
『色競べ五人女』
『色競べ五人女』(1958年・S33)

類まれなる美貌ゆえに女性にモテモテの花形役者・丑之助(和田桂之助)は、嫉妬に狂った男に誤って父を殺され意気消沈。そこへ義母・お袖(山下明子)が言い寄ってきたから大慌て、間の悪いことに番頭に咎められ、もみ合う内に彼を階段から突き落としてしまう。

数年後、出家して日当(=にっとう)と名を改めた彼が身を寄せる延命院に、現場を目撃していた悪党・長十郎(小倉繁)が転がり込んできた。過去をばらされたくなければ云う通りにしろと日当を脅した長十郎改め柳全は、現上人を殺して日当を後釜に据え、彼の容姿目当てに寺を訪れる女性達から金をせしめたり、怪しげな井戸水を売りつけたりする商売を軌道に乗せる。日当の熱狂的サポーターのひとりに大奥で羽振りの良い老女・久米村(荒川さつき)がいることから、お上の権力をもかさにきて延命院はやりたい放題。

そこへ立ち上がったのが、新たに寺社奉行に就任した脇坂淡路守(着物が豪華:天知茂)。正義感溢れる彼は、久米村の遠まわしの脅迫もなんのその、かつて下働きだった熱々カップル・久助(中村竜三郎)とおよし(日比野恵子)の助力を得て、延命院の「秘法」のからくりを見破るのだった。

柳全、久米村は自刃。日当は操り人形だった己を恥じ、からくり仕掛けの蓮の花の上で首を掻き切った。役者時代から恋仲で、いまは久米村の侍女となっていたお梅(北沢典子)もまた彼に寄り添うように蓮華の中に消え、淡路守は「すべては御仏の裁きのままじゃ・・・」と合掌しながら見送った。

*タイトルの「五人」は、お梅・お袖・久米村・およしと、寺を訪ねてきたお袖さんと日当を巡るキャットファイトを繰り広げ二人で井戸に落ちたおむら(三原葉子ねえさん)の5人を指すと思われる。(おとっつぁんの病気平癒祈願に来て、秘密部屋で陵辱され川へ浮かんだおふじちゃん=橘美千子が入るのかどうかは不明)

*珍しく非のうちようがない善人かつエライ人を演じている天っちゃん。久助&およしの災難を機転を利かせて庇ってやったり、久米村のイヤミ攻撃をイヤミで跳ね返したりといった見どころは多少あれど、あまりに出番が真っ当すぎて物足りなかったのも確かだ(贅沢な悩み)。

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| 映画::新東宝 | 10:50 PM | comments (x) | trackback (x) |
『勝利者の復讐』
『勝利者の復讐』(1958年・S33)

タイトルバックからすでに強盗殺人を冷酷に実行中の深沢正夫(タイトルより先に眼元のアップが登場、目立ちまくる天知茂)は、表では国際商事の社長としてふんぞりかえりつつ、裏では再び人相の悪そうな仲間達と宝石店を襲う計画を立てていた。なにしろ彼には、右眉の傷痕までそっくりに整えさせた一卵性双生児の弟・登(名字は「西村」:天知二役)という格好の切り札まである。

おまけに手下のひとり・森田(鮎川浩)の兄貴分で天才的な錠前破りの腕を持つ前島(細川俊夫)が国際商事に入社。ムショ帰りの前島は、美人妻・房江(小畠絹子)と幼い娘のためにも真っ当な職を探すが、世間の冷たい拒絶に遭い、つい森田を頼ってしまったのだ。深沢はさっそく渋る前島を伴って某宝石店へ押し入り、奪うだけ奪った後で店員たちを皆殺しにした。

しかし、逃走途中で前島だけが捕まってしまった。自白を懸念する深沢は、彼の家族の身柄を拘束して口封じを図ろうとする。房江を社長室へ呼び、自慢の銃で散々弄ぶ鬼畜な深沢。だが夫への済まなさと絶望のあまり、房江は一瞬の隙をつき窓から身を投じた。人情派の皆川警部(沼田曜一)の計らいで房江の最期を看取った前島は、沈黙を破って深沢の所業を洗いざらい告白、深沢は警察へ連行された。

ところが彼には、事件当夜だけでなく房江の一件でも鉄壁のアリバイが。彼に扮した弟の登が人目につく場所で別行動をとっていたのである。証拠不十分で不起訴となり勝ち誇る深沢は、裏切り者の前島に復讐を誓う。その前に今まで聞き分けの良かった自分そっくりの弟が「こんな(兄さんの身替りの)役、もうごめんだよお」とぼやき出すが、倉庫へ連れ込みあっさり絞殺、木箱に押し込んでしまった

自分と娘を狙う陰湿な“勝利者(=深沢)の復讐”に対抗するには、深沢を殺人の現行犯で逮捕するしかないと悟り、前島は死を覚悟して彼の呼びかけに応じる。だが抜け目ない深沢は自らの手を汚さず、手下たちに前島の抹殺を命じた。土壇場で森田が前島サイドに付き、内輪で揉めている間に警察が到着。銃撃戦で思わずキレて前島を撃ってしまった深沢は、ニヒルに自殺を試みたものの、前島の決死の一発で銃を弾き飛ばされた。「お前に命を救われるとは皮肉だな」そう呟くと、深沢はヒステリックな笑い声をあげながら連行されていった(前島は一命をとりとめ、皆川警部や娘と歓談してエンドマーク)。

*クレジット上ではいちおう主役は細川さん・小畠さんの二枚看板だが、実は天っちゃん主導のギャング映画。冷酷非道かつスタイリッシュな深沢(兄)と、どこかしらおぼっちゃん気質の登(弟)のギャップが面白い(特に、兄貴に金でカラダを買われたという登クンの従順で素直そうな弟キャラは、ウスイ家の薫兄さんでなくても愛でたくなるラブリーさだ)。そのほか、アブノーマルなキャハハ笑い(by 深沢)というウルトラ・レアなものまでお目にかかれる、かなりのお値打ち作品である。

| http://www.amachi.info/blog/index.php?e=82 |
| 映画::新東宝 | 10:47 PM | comments (x) | trackback (x) |
『夜の勲章』
『夜の勲章』(1965年・S40)

兵役にとられていた松音組の血気盛んな若い衆・榊原安太郎(背中に虎の刺青:田宮二郎)が終戦2年後に遅い帰国を果たしたところ、羽振りの良かった組は跡形もなく、親分(見明凡太朗)は病の床、兄貴分たちはライバルの笠野組に取り込まれていた。密かにホの字だった親分の一人娘・恵(だが既にフィアンセあり:林千鶴)のためにもと、松音組再建を誓って大いに気を吐く安太郎は、裏切った兄貴分たちをボコボコにし、笠野組に宣戦布告。

その夜、酔って泊まった安宿で、行き倒れを供養する日乾寺住職・日草(=にっそう:天知茂)の甲高い読経の声で起こされた(*読経は似ても似つかない声質のアフレコ)。怒鳴りに行ったはずが「おお、ホトケがお前さんに運んでほしいと言うとるぞ」などと上手い具合にこき使われる。

一方、因縁浅からぬ彼の生還を知った組長の笠野(須賀不二男)は、子分の山口(成田三樹夫)を松音の親分の家に差し向け、安太郎を出せと迫っていた。激昂した拍子になんと親分が発作で急死(ワルなのにひどくうろたえる成田ミッキーの表情が小物っぽくてよい)。事の顛末を知った安太郎は単身で笠野組へ殴りこみをかけるが、撃たれたあげくに笠野に逃げられ、這々の体で日草の寺に倒れこんだ。

日乾寺に匿われ傷を癒すことになった安太郎の元へ、冒頭のいざこざ(戦前の話)で安太郎に腕を斬られ笠野組を破門になって以来、彼を執拗に追ってきた中西(河野秋武)が出現。再び刃傷沙汰になりかけるが、止めに入った日草の熱い説得で事なきを得る。自らも戦場で修羅場をくぐってきたらしい日草の言葉に「それこそが任侠道や!うまいこと言うやんけ、しょぼくれ!(*鴨井@犬シリーズ調に変換←実際の安太郎は標準語です)」とすっかり惚れこんだ安太郎は、“仏門組”用心棒を名乗って日草を親分と慕うようになる(「二人で街をぶらぶらしよう」と言われてホイホイ頷いたら托鉢だったなど、相変わらず日草がうわ手)。

日草は寺近辺の商店街の人々に無償で土地を貸していた。そこへアミューズメント施設建設を目論む笠野組は商店街に立ち退きを要求、日草に土地の譲渡を迫ってきた。“親分”を護ろうと笠野組の連中に姿をさらした安太郎を心配した日草は、彼に好意を寄せるようになっていた寺住まいの千代(かつて戦場で日草を庇って死んだ部下の未亡人:渡辺美佐子)と一緒に寺を出るよう取り計らった。

安太郎を出せと寺に乗り込んできた笠野組の連中を、毅然と突っぱねる日草。ムカついた山口が襲い掛かった瞬間、安太郎への復讐の念を消そうと寺に逗留中だった中西がよせばいいのに援護に入った。結局、3人で揉み合う内に山口のドスが日草の腹部にクリティカル・ヒット(またしてもひどくうろたえて逃げ帰るミッキー)、帰って来た安太郎に「これからは仏の道を行け」と遺言を残し、日草は還らぬ人となってしまった。

法衣を着て商店街のために奮闘する安太郎だったが、ニセ坊主と総スカンを喰らう。一緒に街を出ようと千代に諭されても、笠野を消すことが日草の供養、ひいては人々の幸せになる、これがホトケの道(任侠の道)なのだと頑なに言い切る安太郎はとうとう笠野を刺殺、手錠を掛けられて寺を後にするのだった。

*監督(村野鐵太郎)、脚本(藤本義一)そしてキャスト(坂本スミ子も同じ関西弁キャラで健在)と、犬シリーズそのままのメンバーが使われているせいか、突っ込む田宮、すっとぼけつつ手玉にとる天知という“鴨井&しょぼくれ(木村)”を彷彿させてくれるユーモラスなシーンがいくつかあり、任侠モノとはいえカラッとした面白さがあった。ただしょぼくれ刑事は死なないけれど和尚さんは他界されて残念無念。65年といえばイイ男真っ盛りなのに(思わずキャプチャー)、もったいない!

*そういえば、畳の上(布団の中)でのご臨終シーンを観たのはこれが初めてのような気がする(普段はロクな死に方してないからなあ)

*タイトルの意図するところが結局よくわからなかった・・・何か隠された意味があったのだろうか。

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| 映画::大映with田宮二郎 | 11:44 PM | comments (x) | trackback (x) |
『若き日の啄木 雲は天才である』
『若き日の啄木 雲は天才である』(1954年・S29)

(台本を入手)
かの『東海道四谷怪談』『地獄』を世に生み出した中川信夫監督との最初の出会いを、天っちゃんは『人形佐七捕物帖 妖艶六死美人』(1956年)だと語っていたが(「地獄でヨーイ、ハイ!」参照)、実は端役での出演ながら、その2年前に本作がある。

強烈な個性ゆえに郷里を追われ北海道に向かった石川啄木(岡田英次)は、親友の世話で新聞記者の職を得るが、ここでもまた周囲と衝突し、とうとう東京行きを決意するのだった…という展開を、有名な句を織り交ぜながら映像化した文芸作品で、北海道(釧路)で啄木を出迎える(パシリ扱いの)同僚新聞記者・小松というのが天知茂。三面記事担当の彼と共同で記事を書けと言われた啄木は早速「オレは二面がいい」などとわがままを言うのだが、編集長そして小松クンたち若い連中(松本朝夫氏ら)は尊敬の念を込めて温かく見守ってくれるシチュエーションらしい。セリフはほとんど無いものの、啄木と行動を共にすることがしばしばあり、画面にはけっこう映っているのではないかと期待している。

*対立紙の記者(ヒール)に丹波さん。

*(2007.8.9追記)本編を見た。
天才肌ゆえの傍若無人さが災いして故郷を追われるように去り、親友・宮川(細川俊夫)のいる函館でもうまく行かず、小樽でエラそうさでは五分五分な新聞社の主筆(丹波哲郎)とひと悶着起こした揚句に退社、釧路まで流れてきた石川啄木(岡田英次)。理解ある社長(佐々木孝丸)や同郷の先輩(山形勲)、人のいい芸者・小奴(角梨枝子)たちに囲まれ記者として軌道に乗ったのも束の間、またもや周囲と諍いを起こし、今度こそは真剣に文学に取り組もうと北の地を後にするのだった・・・というストーリーが有名な句を織り交ぜて描かれている。貧乏+姑に耐え忍んでる嫁さんを置き去りにして自分の夢を追い続ける啄木に感情移入しづらいせいで、なんだか必要以上にしんどさを感じる映画である。

初の主演映画『恐怖のカービン銃』の3ヶ月前に封切られているこの作品での天っちゃんの役柄は、釧路新報の小松記者(台本による。残念ながら本編で名前を呼ばれることは無かった)。釧路に着いたばかりの啄木と人力車で新聞社の玄関へ降り立ち、意外に雪が少ないですねえとの啄木の言葉に「ああ、しかし寒いですよ」とインバネスをひるがえしながら社内へ入り主筆に紹介するシーンが初お目見えで、着込んでいるからかもしれないが、新東宝時代の彼にしては体格がまずまず良かったのが印象的。正面きってのアップは一度もないものの、こまごまとしたシーンでさりげなく映っていて、さりげなくセリフを言っている姿を発見するのが楽しかった。

*愛国婦人会主催のかるた大会(啄木の隣には小松記者もいる)の司会進行役として三原葉子ねえさんがちょこっと登場。

*岡田英次さんと天っちゃん、四半世紀あまり経つとエマニエルの美女になるのだなあと思うと実に感慨深い(それを引き合いに出すのはどうか)。

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| 映画::新東宝 | 10:38 PM | comments (x) | trackback (x) |
『警察官』
『警察官』(1957年・S32)

パトロール中の警官が不審車を尋問中に射殺された。捜査を進める内、国際的なスパイ組織の存在が浮上。捜査課長(細川俊夫)は制服警官の山口俊介(宇津井健)を、組織に関連ありと思われるクラブ社長・長谷川(沢井三郎)の元へと潜入させる。

長谷川の信頼を得て運転手として雇われた俊介は、組織の中枢である南隆貿易の社長(のっけから外国人と英語でやりとりしている蝶ネクタイの男:丹波哲郎)に接近するが、俊介に胡散臭いものを感じた丹波社長の腹心・吉田でなく吉野(デキるNo.2というよりはダークサイドの小林少年といった風情の天知茂)はそれとなくストーカー行為を続け、彼が老練刑事・久野(竜崎一郎)の娘・純子(池内淳子)と恋仲であることを突き止め正体を見破った。

南隆貿易に偵察に来た久野と共に捕縛されピンチの俊介。しかし周りは既に援軍の警察官で取り囲まれていた。初期捜査のミスを引きずりナーバスになっていた木村刑事(中山昭二)が単身乗り込み、丹波社長と凄まじい乱闘を繰り広げて命を落とし(その前に吉野は木村刑事と撃ち合いになりあっけなく死亡)、丹波さんが地下室もろともどっかーんと爆死して事件は解決。俊介は純子の前で、木村の分まで頑張ることを誓うのだった。

*頭脳派の実悪ぶりが板についていた(ヤク中の江見さんに長谷川社長を殺させ、そのあとで銃を向ける非道な態度がこれまた渋い)丹波さんの側で張り切っていた吉野くん。ただ有能秘書というにはうら若く、用心棒にしては華奢、その筋のおねーさんには頬をしばかれ、拳銃の腕もいまひとつという、ボスに比べるとなんとも可愛らしい面が目につく不思議な青年だった。

*おまけに運転も出来ない(役柄)らしいのだが、荒っぽい運転手(=宇津井さん)に向かって助手席でぽわんぽわんと揺れながらいろいろ突っ込んでいる姿が笑えた。

*「ベッドハウス」(=連れ込み宿の一種か)の住民・サッチャン役で、当時まもなく挙式予定の奥様=森悠子さんが登場、朗らかで逞しそうなその筋の女性を演じておられた。天っちゃんとは中盤にニアミスしていたような(宇津井さんをストーキング中にベッドハウスの階段を上がっていった時に出てきた、後ろ向きの女性がそうだったのではないかと)。

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| 映画::新東宝 | 10:30 PM | comments (x) | trackback (x) |
『斬る』
『斬る』(1962年・S37)
(新文芸坐にて鑑賞)

数奇な運命の下に生まれた青年・高倉信吾(市川雷蔵)を軸に、“斬る”という行為が織り成すさまざまな哀しい人生模様を描き出した逸品。

天っちゃんの役どころは信吾の実父・多田草司。たまたま使者として逗留していた藩において、殿様を色香で惑わす妾を家老の命を受け暗殺し拘束された侍女・藤子(藤村志保)の身柄を拉致して子を作ってくれと頼まれた彼は、颯爽と馬を駆り藤子を奪い、1年後に信吾を授かった。

しかし、1年も経って子供もいれば殿様の怒りも収まるだろうとの家老の読みは外れ、藤子は再び捕らえられ処刑されることに。誰も彼女を斬りたがらない中、役目を請け負ったのは草司だった。清め刀を前にして、微笑みを交わす夫婦の姿が切なくも美しい。

信吾は養父・高倉に預けられ、彼の実の子として明るく育っていたのだが、近所の同僚のジェラシーによって養父と義妹が惨殺され、父の今際の言葉によって出生の秘密を知る。訪ねあてた廃屋には僧服姿の実父・草司がいた。独りで寂しくはないのかと問う信吾に、お前のお母さん(←「お前の母」でも「お前の母上」でもなく、「お母さん」)といつも一緒だ、墓に入ればそのときこそ二人で生きられる、そう思うと心がほのぼのしてくるのだ、とかなんとか、大部分この世のものではなくなったような風情で語る父。自分の居場所はここにはないと悟った信吾は、さすらいの旅へと出て行くのだった…。

その後の信吾にはいろいろと辛いことが起こるわけだがそこは(もう天っちゃんもいないので)省略するとして、この薄幸な息子の巻き込まれ型悲劇人パパが言葉すくなに心情を表現するさまは、映画自体の様式美とあわせて見どころのひとつである。

ただ何度見ても、信吾が訪ねてきたときの「お前のお母さん」という台詞(2度ばかりある)が時代劇らしくなくて耳に残る。天っちゃんうまく「母(ハハ)」っていえなくて台詞変えたのか?などと失礼なことをいろいろ考えてしまったのだが、もしかすると草司パパの時間は愛妻を斬った瞬間に止まってしまい、もうあっちの世界に住んじゃってるから、育った信吾も赤ん坊にしか見えず、それで噛んで含めるような「お母さん」になったのかもしれない。

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| 映画::大映with市川雷蔵 | 12:00 AM | comments (x) | trackback (x) |
青い指紋
『青い指紋』(1952年・S27)

「日本映画戦後黄金時代 13:新東宝の監督」「19:新東宝の主役」(日本ブックライブラリー)という本をゲット(全30巻のうちの2冊)。19巻の解説に、天っちゃんのことが書いてあるのだが、そのなかに
デビューは「青い指紋」(S27・青戸隆幸監督)という買取り小品の犯人役ではなかったか
との一文が。制作:理研映画、白黒・64分のこの作品(“犯罪ドキュメンタリー”という副題つき)、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されていて98年に上映もされているようだが、果たして・・・?

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| 映画::新東宝 | 11:28 PM | comments (x) | trackback (x) |
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