2006,04,02, Sunday
『怒号する巨弾』(1960年・S35)
![]() 第二次大戦中、天田公一(天知茂)は父と共にスパイの濡れ衣を着せられ投獄、拷問の末、父は獄中で死亡した。17年後、宮本公平と名を変え、古美術商を営む公一は自分たち親子を陥れた者たちに復讐を始める。手下を使い、巧妙かつ冷酷に3人を抹殺してゆく公一。彼の最後の標的は、当時の取調べ担当刑事で今は警視総監に登りつめた志賀。だが公一は、復讐のために近づいたはずの志賀の娘・洋子(三ツ矢歌子)を本気で愛してしまい・・・。 実にドラマチックな筋書きに沿って、翳のある謎の青年をこれまたドラマチックに体現する天っちゃんがハマリ役。洋子さんと熱い抱擁を交わしているときでさえ遠くを彷徨っている暗い目つきがいい。射撃場で知り合ったライバル、敏腕警部・宇野(宇津井健)も戦争で家族全員を亡くしたという設定だが、良くも悪くも一本気なキャラの宇津井氏と、屈折を絵にかいたような彼とでは、こういう場合は勝負にならない。おまけに宇野警部、警視総監の覚えはめでたいものの、娘の洋子さんに思いっきり嫌われてるもんだからかなり分が悪い。宇野が勝っていたのは身長と前髪の多さくらいか(暴言) 正体が暴かれ追い詰められた公一は、宇野に一対一の勝負(=銃を手にして車で決闘)を挑む。名残惜しそうに公一を見つめながら、彼のレザージャケット(背広は相変わらずぶかぶかだがこういうのは良く似合う)の胸ポケットに花を一輪そっと挿す洋子さん。犯罪者だと知り、さらに誘拐(&殺害?)目的なのを知りながら公一に付いて来た彼女もまた、彼のために人を殺めてしまえるほどに彼を愛していた。これからいつもの逃避行モードに入ってもおかしくないシチュエーションだったが、愛を得て満足したのか、車から洋子さんを降ろし、ライフルにわざと弾を込めずに宇野(の車)と向き合う公一。 1回目、勝負つかず。下手だな宇野!(←あ、わざとでしたか)。そして2回目、宇野の拳銃が公一のライフルを弾き飛ばした。ハッと色を失くす洋子さん、宇野のことなんかまるでアウトオブ眼中。なんだ止めをさしてくれるんじゃないのかと心で突っ込みながら(想像)、公一は拳銃を取り出してこめかみに当てた。空に響く銃声。自らの手ですべてを終わらせた公一の死に顔は、どこか幸せそうだった(あんまり端整なのでしばし見惚れてしまった)。 追記: goo映画のあらすじにはまた少しばかり騙された(公一は宇野のヘタレな拳銃に倒れるほどヤワじゃない。それに17年前、幼くなかったし←ちょっとムリめの「地獄」の大学生風) 追記その2:足元だけを映す手法や音楽がなんとなく「第三の男」っぽかった(遊園地シーンもある)。
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2006,03,22, Wednesday
『スター毒殺事件』(1958年・S33)
フィアンセの真理(万里昌代)を自分と同じ世界に誘ったばかりにライバルにまんまと奪われてしまう映画スタア・上原城二(天知茂)。真理ちゃんとの幸せシーンでの眉根に締まりのない天っちゃんはその軽いしゃべくりと相まって、良いひとを演じていても胡散臭さがそこはかとなく漂ってしまうのが難点。ご本人は同期の高島氏や宇津井氏のように青春映画で爽やかな二枚目を演じたかったが叶わず、ふてくされたこともあったらしいが、彼のオトコマエ振りというのはそういうシチュエーションでは生まれ得ないということを周りの人たちが分かっていたのは幸いだったかもしれない。最初の胡散臭い存在の軽さはどこへやら、人を殺めてから先がすこぶる活き活きしてくるひとなんてザラにいないだろう。 「真理は僕のものだ・・・いやだ、いやだ、いやだあああ!」泣くわ絶叫するわ、もすこし落ち着けよ城二!と肩を叩きたくなるようなパラノイアぶりにはびっくりだ。とうとう混乱の中で最愛の真理ちゃんを殺してしまい(ネタバレすみません)「僕も真理と一緒に死ぬんだ!」とか言って亡骸をお姫様抱っこ(←またもや)して車に乗せて逃避行を始めたのに、警察に追われるといつのまにか亡骸を置いて「僕は逃げなければ!」とサバイバルモードになってるあたりはらしくて笑えたが。とにかく逃げなくちゃ、は条件反射なのか? とことんまで追い詰められて(ここらへんまた艶っぽさMAX)、最終的にいかにもピストル自殺しそうな状況になったところで、「真理がいないのに逃げたって仕方がない。せめて罪を償おう」と言って自主的に投降するラストは少々肩透かしだった(そういや「自殺する天っちゃん」というのはまだお目にかかったことがないが*1)。真理ちゃんの元に行くんじゃなかったのか君は。 『暁の非常線』はどうでもいい人たち(失礼)のハッピーな様子でエンドマークだったが、虚無感溢れる表情の城二で締められていたのは、後味は悪いとはいえ(別に天っちゃんの顔が後味悪いという意味ではない)満足だった。渡辺宙明氏の音楽も要所要所を盛り上げていて聴き心地がよかった。 追記:好きよ好き好き城二さん、と恋女房よろしく世話を焼いてくれる女優役で、ぐぐっと色っぽくなった三原葉子ねえさんが出ているのだが、彼女には実につれない天っちゃんだった。 追記2:下記DVDのジャケットは良いとして、このポスターはシリアスな雰囲気をぶち壊しじゃないのだろうか(実際こういう格好してたけども) *1:『怒号する巨弾』で見ました(2006.4.1)
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2006,03,12, Sunday
『恐怖のカービン銃』(1954年・S29)は、タイムリーに世間を騒がせていたカービン銃ギャング事件の顛末を忠実に再現した映画で、主犯・大津を演じているのが23歳にして初主演の天知茂。
本編約46分の短さの上に淡々とドキュメンタリー・タッチで話が進行するので(しかも天っちゃんを含めて皆セリフ回しが軽いので)地味な印象は否めないが、特に逃亡生活に入る中盤あたりから、天っちゃんのただならぬオーラがむんむん漂ってくるのが見ものだった。 無防備に畳に大の字になりながら、欲におぼれた相棒たちに向ける虚無的な瞳。愛撫するかのようにカービン銃に優しく這わせる華奢な指。相棒に裏切られボコボコにされ、憤怒に燃え上がる形相。追い詰められるほど零れ落ちるこの妖しい色気は何なんだ。 共に逃避行する愛人・みさお役が、後にお色気路線で大活躍する三原葉子ねえさんなのだが、当時はまだ垢抜けないぽっちゃりさんなだけに、天っちゃんの艶っぽさの方にばかり目がいってしまった。意外に掘り出し物。 ・・・そして初主演作から3年後、天っちゃんは立派な色悪に成長していた。 『暁の非常線』(1957年・S32)での役柄は、表の顔は親分の娘(三ツ矢歌子)目当てに跡目を狙う若き幹部、裏の顔は皆殺しの銀行強盗と、どちらにしてもワルな馬島(まじま)政吉。楯突く者はガンガン消しまくり、保身のためなら子分であろうが情婦であろうが、はたまた好いていたはずの親分の娘であろうが容赦なく切り捨ててしまう、半端でない極悪非道ぶりには感動すら覚えた(小柄な体にぶかぶかの背広、相変わらず少し浮わついたセリフ回しには目をつぶるとして)。 悪事が警察にばれ、ギリギリまで追い詰められてからも笑っちゃうくらいしぶとく逃げる馬島。窮地に追い込まれれば追い込まれるほど醸し出される天っちゃん特有の色気がここでも健在だ。しかも追いかける側の人たち(『地獄』の沼田さん等)が精細と鋭さを欠いているので、そのまま頑張って逃げのびちゃえよ馬島!と密かに応援したくなった。 しかし悪は滅びるのがお約束。クライマックス(goo映画掲載のあらすじはちょっと違うんじゃなかろうか。足をケガしたのは自分でトラックから転げ降りたからだ。ちなみにこっちはどうでもいいが、クラブの名前も「マンダリン」ではなく「モナコ」)で、過去の亡霊に怯えてどうしようもない小物ぶりを露見させ、馬島は自滅する。情けない天知茂、というレアなものまで拝めてなかなか眼福。 親分の娘の周辺人物が集まってめでたしめでたし、なエンディングは、個人的には不要だと思った。馬島で始まったんだから馬島で終わってやんなきゃあ浮かばれないだろう(天っちゃんが)。 2作とも無駄なBGMが一切なく(もしかして予算の関係?)、緊張感に溢れていたのもまた良し。 追記:『暁の非常線』でも「お姫様だっこをする天っちゃん」発見。生涯で何度やったのか数えたくなるなあ。
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2006,03,08, Wednesday
『女王蜂の逆襲』(1961年・S39)
![]() 鬼怒川温泉の元湯を巡るいざこざに一肌脱ぐ、東京・桜組のお嬢、タマミ(三原葉子ねえさん)。どこからともなく現れて彼女を救うのが、カウボーイ・ハットのスカした色男・無鉄砲のマサ(天知茂)。元湯の権利は悪い奴らから取り返せるのか?・・・はこの際どうでもいい。ザコを片っ端からなぎたおしーの、三味線片手に都々逸を唄いーの(けっこう上手い)、浴衣のまま寝床で芸者のとんぼ姐さん(池内淳子)といちゃいちゃしーの、粋な着流し姿を披露しーの、な天っちゃん29歳の実に嬉しそうな(もう眉毛なんて下がりまくりの)ハチャメチャ振りを堪能する映画なのだこれは。インディ・ジョーンズか君は、と突っ込みたくなる彼の「正体」も面白かった。 新東宝はたしかこの年(1961年)に倒産するので、撮影当時も状況は相当やばかったとは思うのだが、正月映画だし、何もかも忘れてパーッと景気良く撮りましょうや!ってな現場の和やかな雰囲気も感じられる。・・・たぶん新東宝がずうっと続いていたら、天っちゃんは冷酷な悪役だけでなくこっちのコメディ路線でもイイ線いってたかもしれない(小粒でも)。そう思うと残念だ。
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2006,03,01, Wednesday
『無警察』(1959年・S34)
28歳の天っちゃん(=張り切る正義の新聞記者)は声も演技もほんのり若く(軽く)、時折見せる睨みの効いた表情とのアンバランスさ加減が独特。ラストでは「お姫様だっこ」を披露(「黒真珠の美女」でもやってたなあ)
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