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素敵なこの人 [1]
素敵なこの人(1983・S58・9月19日OA)

*聞き書きその1

檀ふみ(以下、檀):ニヒルで冷徹なハードボイルド役ならこの人。テレビで冷たさの中に甘さを漂わせ、女性の心をとらえて離さない。今夜の「素敵なこの人」、天知茂さんです。どうぞ、本日はよろしくお願いいたします。(画像)

天知茂(以下、天):どうも。 (画像)*歯の浮くような紹介台詞に戸惑い気味

檀:天知茂さんは昔、俳優生活をスタートしたばっかりの頃に、大変な下積み時代というか、大部屋時代があったと伺いましたけれども。

天:ええ、ありましたねえ。

檀:そしてまた、九死に一生を得たことが二度ほどおありになるとか。

天:ええ、まあ、今となればどうってことない病気なんでしょうけどね、終戦直後でしたからねえ。肺炎ってのになって。

檀:そういうお話を今日は、大変お若かった頃の下積み時代とか、大変お苦しかった時代のお話を伺いながら30分過ごさせていただきたいと思っています。どうぞよろしく。

タイトル「無名の青春 夢に生き、生命燃やして」

+ + +

檀:天知さんは、最初から俳優になりたかったわけですか?

天:うーん、あのねえ、僕自身がまあ、なりたいっていう、もちろんそれもありましたけれども、僕のお袋がね。僕、名古屋なんですけどね、生まれも育ちも。名古屋は芸どころっていうでしょ。

檀:名古屋のかたっていうのは、芸事がお好きなんですか。

天:うん、だから別にその、プロになるとかならないとかって関係なく、踊りだとか、お三味線とか、そういうものを習わせるっていうのが割に一般的にあったわけですよ。

檀:ああ、土壌として。

天:うん、で、お袋が大変そういうことが好きでしてね。お袋自体が…これはもう、うんと古い話ですけれどもね、明治時代の話だけれども…娘義太夫ってのがね、大変はやった時代があるんだそうですよ。今でいえば、ロックみたいなもんなのかなあ(笑)で、その娘義太夫…「太夫」っていうんですけどね、その太夫に、お袋がなりたかったみたいなね、夢があったわけですよ。

檀:夢を果たせなかった。

天:それをまあ、いわば僕に賭けたっていうのかなあ。

檀:ご兄弟は何人かいらっしゃるわけなんでしょう?

天:ええ、兄弟は4人いましてね。その僕は末っ子なんです。

檀:えっと、どういう…? 男、女はどういうふう…?

天:全部、男なんですよ。

檀:全部男の子で、全員にお母様は習い事を?

天:いや、僕だけ。っていうのはね、僕はお袋の大変遅い子でしてね、40…いくつの子なのかな。とにかく大変遅い子なので、生まれる前は女の子であったらと思ってたらしいんですよね。上3人が男でしょ。だからせめて最後は女、って風に思ってたわけなんですね。

檀:じゃ、女に生まれるように女に生まれるようにって?(笑)

天:もし女に生まれてきたら、踊りをやらせようとか、…

檀:娘義太夫にさせようとか(笑)

天:そうそう(笑)で、そんなことを思っていたら男だった、と。んー、なんだけれども、なんか、男なんだけどいいや、ってんでね(笑)それでそのまま、そういうこと習わせろ、みたいなことになって。

檀:どんなものを習ってらしたんですか?

天:いやー、僕はね、定かじゃないんですよそのへん、はっきりいって。はっきり覚えている頃には、なんかもうやめちゃってた、ってこともあるんですけども。まだ小学校に入る前にね、日本舞踊だけはやってたみたいですね。っていうのは、そんな写真が残ってますから。それでね、今の七代目の菊五郎さんじゃなくて、六代目の菊五郎さんのところへ、弟子入りをするっていう話があったんですよ。

檀:本格的なんですね、結構。

天:そう、それもある人の紹介がありましてね。すっかりおやじもお袋もそういう気になって。で、あわやもう弟子入りっていう寸前までいったんだけれども、結局それはねえ、まだそんな子供だから、誰か…お袋ならお袋が、絶えずついていかなきゃいけないってことですよね。だから、それも大変だというんで、結局その話は、いつのまにかご破算で。これはだけど、僕は実際には知らないわけですよね。

檀:でも、もしそういうふうになっていたら、今頃は…

天:そうなんですね、歌舞伎のほうでね(笑)ですからまあ、そんなような話は後になってなんとなく聞かされたりなんかして、なんとなく役者に役者に、という意識が絶えずあったことはあったんですね。

檀:お兄さま方は、何をなさってらっしゃるんですか?

天:うちの家業が、最初は自動車の…タクシーですね、今でいえばね。それで、僕が生まれた頃は、タクシー会社をやってたんです。それから寿司屋になっちゃったんですね。ですから、兄貴たちはお寿司屋を手伝ってたんです。

檀:そのおひとりのお兄さまから…今、写真屋さんをなさってらっしゃるお兄さま、ですね。お小さい頃の天知さんのお話を伺ってまいりました。

VTRの薫兄さん(画像):あのー、弱いんですねえ、とにかく。生まれ落ちからですねえ、なんかひ弱で。いわゆるその、病気はやるし、もうとにかくねえ、いつまで生きるかわからないっていうぐらいね、弱かったですね。ですから、あの弱い弟がですね、頑丈にですねえ、堂々とした体躯でもってね、不眠不休でやっててもバテないっていうね。誠に不思議だと思いましてね。小学校に入る前、とにかく弱いもんですから、お袋も非常に気を使いましてね。小学校の1年生に入学してもね、とても1人では行けないもんだから、とにかく授業が終わるまで、学校でね、廊下で待ってると。まあ雪が降っても雨が降ってもね、お袋もえらかったと思う。1年間とにかく耐え抜いてやってきたんだから。たいしたもんだと思いますよ。それがまあ、だんだんこう、成長するに従いましてね、写真にもございますけれども、丹下左膳の格好はするわね(画像)、雪之丞変化の格好はするわね(画像)、安兵衛の格好はするわっちゅうんでね(画像)、映画見てくると、必ずうち帰ってきてね、再現するんですね。そのままの格好でね、山口町の町中を歩くわけですよ。だからもう近所でもね、有名人ですよ(笑)ほれまたあの小ちゃな役者がきた、とかいうことでね。

天:フッ(照笑)

檀:ほんとに役者になるべくしてなったというか…

天:でもね、ああ言ってるけども、そういうふうにしちゃったのは、親兄弟ってとこもあんですよ(笑)

檀:お兄さまも大変、お年が離れてらっしゃいますか? 可愛がってらしたような…

天:そうですよ、ですからまあ、兄っていうよりは…親父が戦後すぐに亡くなりましたから、そういう意味で、親父がわりっていうこともありましたね。

檀:で、また、お体が弱くて。ちょっと想像もつかないけれども。天知さんぐらいのお年だと、戦争のときはどんなふうに…?

天:いやもう、これは大変でした。中学でしたけれども。まあ、中学の1年はなんとか満足に学校行ったんですけど、2年生の2学期のときでしたかねえ、だんだんもう、戦争が激しくなってきて。学徒動員というのがあったんです。

檀:働くんですか。

天:ええ、いわゆるあの、飛行機を作るとか、軍事工場という工場に学生全部が行って、働くということになって。僕らは三菱発動機という工場へ…名古屋ですけど、働きに行かされてたんですね。そのときに大変な空襲がありまして。

檀:名古屋も空襲がひどい時期っていうのがあって。

天:ええ、こりゃもう大変でした。B29という爆撃機ですけども、80機ね。その三菱発動機ってのは大変大きな工場でしてね。まあ名古屋には軍事工場ってのは大変多かったんです。

檀:特に狙うんですか。そういう工場を。

天:工場に80機きたんですよ。まあいくら大きな工場だとはいえね、80機が全部、その工場を叩き潰すためだけにきたわけですから。それがもう、名古屋のまったく初めての空襲でした。

檀:どうなさったんですか。

天:それはもうねえ、空襲の怖さなんて何も分からない訳でしょ。話に聞いたりっていう程度ですから。…ですから僕らは、防空壕からね、なんとなくこう顔突き出して、…

檀:それはもう、空襲警報があって、防空壕にいらした…

天:それがね。防空壕といえば…僕たちの、まあ5〜6人ずつ入るグループになっているわけです、防空壕というのは。広場にたくさんあるわけですけれども。たまたまねえ、空襲のあった日、僕たちのグループの防空壕が雨漏りをしてましてね。まあ当然、ほかのとこ入らなきゃいけないわけです。沢山あるわけですから。たまたまねえ、ひとつのところへ僕入ろうかなと思って片足まさに突っ込んだんですね。そのときに、その、ひとつの防空壕の方から、「おーいこっち来いよ」と呼んでくれたんです。

檀:誰が…?

天:それが誰だかはっきり分からないんです、未だに。それで、呼んでくれたんで、とにかくまあそっちに移ったんです。それからまあ空襲になっちゃったんです。ぽんぽんぽんぽんと爆撃になっちゃいましてねえ。それで、僕の入った防空壕も生き埋めっていうか、ドアが開かなくなっちゃったわけです。

檀:すごい空襲だったから…

天:はい。それでまあ、やっとなんとか出て来たら、最初に僕が片足を入れた防空壕には直撃弾が落ちて、もちろん、大きな穴ぼこだけで。

檀:亡くなった方は…? みんな亡くなって…?

天:ええ。

檀:ご存じの方もみんな亡くなって…?

天:そうですね。ですから、たまたま僕は、片足を突っ込んだときに、誰か呼んでくれた、それがだから…

檀:お名前を呼ばれたわけですか?

天:そうです。『おい臼井(ウスイ)こっち来いよ』…臼井ってのは本名ですが、こっち来いよ、ってふうに呼んでくれたんで。さてね、それが誰だったのか、はっきり今ね、申し訳ないんだけれど、思い出せないんですよね。

檀:あの、当時の防空壕仲間に(笑)今日いらしていただいていますので…

天:名古屋から!?(笑)

檀:ちょっとお話を伺ってみたいと思います。どうぞ、お入りになってみてください。

[2]に続く)

*珍しいトーク番組の前半(3分の1)部分。空襲のくだりはシリアスな話なのだが、結構客観的かつ淡々とした語り口だった。

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