あっさり脱ぎすぎた川口小枝
圧倒された相手役・天知茂の反省
松竹映画『女は復讐する』で武智鉄二の娘・川口小枝(さえだ)が題名通り男に復讐する主人公役で二度目の映画出演をしている。
前作『白昼の通り魔』で、暴行シーンを大胆にやってのけた女優という彼女の知名度を、会社が買っての配役だったが、結果は失敗に終わったようだ。
天知茂は今度の相手役だが、この作品は彼が設立した「A&Aプロモーション」の初の企画作品(テアトル・プロ及び松竹と提携)でもある。その天知も川口起用の失敗を反省している。
「撮影第1日からのベッド・シーンにぜんぜん臆することなく、ごく自然に裸になり、濃厚な場面にとりくんで来たのには感心しました」
と彼女の女優根性を認めながらも、
「しかし、愛欲場面に、あれほどこだわらずに入れるのは、まったくのおぼこ娘か、男を知りすぎた女ということになりますね。この作品の女主人公は、男は知っているものの、男の味を知りつくしたという女ではないのです。策を抱いて男に身をまかせるのですが、そこには男に対する恥じらいや抵抗感が表現されなくてはいけないわけです。その点で不満が残りますね」
試写の後、こう批判したが、「でも演技をしている間は、そんなことを観察分析しているゆとりはありませんでした」というから、圧倒されていたのはベテラン天知のほうということ。
(以上、週刊現代 1966・S41年10月27日号より引用 *資料提供:naveraさん)
男泣かせる超グラマー
「女は復讐する」のヒロイン 川口小枝
とまどう原作者笹沢氏 天知、長谷監督も驚く
松竹「女は復讐する」(監督長谷和夫、テアトルプロダクション・A&Aプロモーション製作)に出演中の川口小枝。「白昼の通り魔」につづいて二度目の映画出演だが、本人もいうとおり「わたしは女優じゃありません」―身分は女子大生(共立女子大文芸学部2年)だが、こんどの映画出演をめぐって3人の男が泣いている。彼女のつかみどころのない“女”のために―。
“憂愁夫人”には程遠い
原作と違ったイメージだが素質を生かす
まず真っ先に泣いたのは原作者の推理作家笹沢佐保氏。映画の原作は7年前に氏が書いた「空白の起点」だが、保険金をめぐる殺人事件の犯人が実は「“憂愁”の影を持った」若い女性という推理小説。「これはサスペンス・メロドラマ」(共演の天知茂)「原作は単なるナゾ解き小説じゃなく、ロマンがある」(長谷監督)というように、主人公はあくまでもやせ型の影を持つ“憂愁”を帯びた女のはずだった。ところがこの女を演ずる川口は、バスト99、ウエスト65、ヒップ98、体重57キロという超グラマーである。メロドラマとはほど遠い女だ。笹沢氏の好みの女のタイプは、やせて影を持った女という評判どおり、氏の作品の女主人公はすべてこのタイプだ。「原作と映画化は別物」とは常識論だが、あまりにもイメージとかけ離れた主役の出現には笹沢氏もアッケに取られ「仕方がないですな」とあきらめている。
次にびっくりしたのは共演の天知茂氏。彼が驚いたのもムリはない。この映画の企画提出者はもともとA&Aプロの主宰者であるこの天知だったからだ。彼にとっては、ことしA&Aプロを作ってから第1作の映画企画。笹沢氏の小説が好きで、この原作の発表当時から映画化をねらっていた。いわば念願の映画化である。
「1プロダクションが映画を作るというのはたいへんな苦労がいるものです。配給元から主演女優を指定されれば、ぜいたくな注文はつけられない。配給会社だって商売になるように女優を選んだのですから」と、イメージの違いには、商売になる映画を、ということで“妥協点”を見出している。
苦労しているのは、この映画の全責任を負った長谷監督も同じである。外注作品の常として、極度に制限された製作費とスケジュール。川口が決まったのも撮影日程がギリギリになって、これ以上延びれば封切りに間に合わないというときだ。
「台本にも“憂愁夫人”と形容されているように、たしかにイメージは違います。からだはごらんのとおり。セリフはまだまだ甘くて舌足らず。でもね」と語る長谷監督のことばは、せっぱつまって登場した主演女優のイメージの違いにはとまどいながらも、立場上、川口を弁護する。
「川口君という女は、いつか突然大女優になるといった可能性を持った女だと思う。僕の役目はその可能性を引き出して、見て損はしない映画にすることです。川口君の持っている素材を生かして、原作とは逆のイメージを使ってもおもしろい」
逆のイメージとは「せっぱつまった女の生き方」(長谷監督)だそうだが、こういう抽象的なことばを使うところに長谷監督の“とまどい”が表れているようだ。
ところで3人の大の男をあわてさせている当の川口小枝のことばを最後に紹介しておこう。
「出演交渉のあったとき、おとうさん(武智鉄二氏)に相談したら、“普通のメロドラマならダメだが、こういうヒロインなら出てもよい”といわれたので出ることにしたの。楽しいわよ、この仕事は」
“こういうヒロイン”とは養父に犯され、養父を殺す殺人犯である。
(写真キャプション)
・イメージの違いに、びっくりしている原作者の笹沢氏と主役の川口と天知(ロケ現場の神奈川県・舞鶴で)
・父親に許されて上半身もあらわにベッド・シーンを展開する川口と天知(*抱き合いながらきょとんとしてる天っちゃん。たぶん撮影指示待ちか)
(以上、デイリー 1966・S41年9月30日号より引用 *資料提供:naveraさん)
*初の企画映画だというのに、未だにお目にかかる機会がない幻の作品(2010年6月現在)。先日、原作を読んでみたところ、「冬の曇り空」と称されるような、とある暗い過去ゆえに翳を背負う主人公・新田が“自分と同じ翳を持つ”部分に惹かれるその該当女性が、葉子ねえさんもビックリなダイナマイト・ボディーの物怖じしない小枝チャンに変わっているわけだから戸惑うのは無理はないと思った(週刊現代での天っちゃんのコメントが大いに頷ける)。…しかし原作では彼女とはベッド・インしないんだけど、やっちゃったのか? それともまた(「新宿25時」のように)宣伝だけなのか? そのあたりも含めて気になる作品である。
*(2011.6.20追記)
映画をようやく鑑賞できた。
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