狼男、伊右衛門に会うキネマ旬報 NO.842 : 1982(S57)8月下旬号:51歳
この人にきく
ポール・ナッチー
狼男、伊右衛門に会う
インタビュアー:北島明弘
スペインの狼男俳優として著名なポール・ナッチー氏が、「第三の女」出演のために来日した。「第三の女」はテレビ朝日が土曜ワイド劇場の5周年記念として放送を予定しているTV映画で、夏樹静子の同名小説を基にして柴英三郎が脚色、永野靖忠が監督にあたっている。原作は日本とフランスが舞台になっているが、そのフランスをスペインに置き換えて製作された。ナッチー氏は主演の天知茂氏とは旧知の仲ということで、アラン・ドロンと共演する話があったのを蹴って「第三の女」出演を引き受けたのだそうだ。
7月3日、東京・市ヶ谷にあるシネアーツの試写室で天知氏が主演した「東海道四谷怪談」を一緒に見たあと、ナッチー氏にスペイン映画界についてインタビューした。ナッチー氏、天知氏の他に、共演者のラ・ポーチャ嬢、通訳として武田益良夫氏が同席。武田氏は柔道のコーチとして故正力松太郎からスペインに派遣され、そのまま同国に腰をすえ、ダルマタ・フィルムをナッチー氏、ラ・ポーチャ嬢と一緒に設立した人物である。
――初めに、ナッチーさんの経歴を教えて下さい。
ナッチー:生まれたのは、1940年9月6日、マドリード。マドリード、サラゴサ、バルセロナの各大学で農学、建築学を学んだ。画家を志し、数回個展を開いたこともあったよ。高校の頃から映画が好きだったので、68年に大学を出ると映画界入りした。最初は第二助監督で、その後、助監督になったんだが、他にも製作主任、俳優となんでもやったよ。当時のスペイン映画界では、8本脚本を書かないと監督になれない仕組になってたから、私も脚本を書いた。もちろん、これは昔の話で、フランコ総統が亡くなってからは民主化され、自由に監督をやれるようになってます。(脚本と監督は本名のハシント・モリーナ、俳優の場合にポール・ナッチーとクレジットされている)
――監督になられたのは、何年ですか。
ナッチー:76年だったね。第1回作品は、中世の異教徒に対する迫害、拷問をテーマにした「宗教裁判」という映画だった。
――俳優としては、いつ頃から。
ナッチー:助監督の時からやってたね。最初の出演作が“La Marca del Hombre Lobo”という狼男映画だった。(この作品は68年に作られ、狼男映画としては未だに唯一の70ミリ3D映画。日本では2D版が73年に「吸血鬼ドラキュラ対狼男」の題でTV放映されている。ナッチーは狼男にかまれて自分も狼男になるというポーランドの男爵ワルデマー・ダニンスキーを演じて、人気を獲得した。その後、「狼男の夜」「狼男の怒り」「ジキル博士と狼男」「ワルプルギスの帰還」など、ダニンスキーに8回も扮して当り役となっている。「モンスターパニック怪奇作戦」と題して本邦TV公開された“El Hombre que vino del Ummo”でも脚本を書き、狼男の役で出演していた)
――ナッチーさん=狼男というわけですね。
ナッチー:あのロン・チェイニー・Jrも6回しか、やってないからね。一番新しい81年の「帰って来た狼男」はマドリード国際映画祭で特別審査員賞を受賞したよ。狼男の他には吸血鬼(ドラクロ)、ジャック・ザ・リッパー、ジキル博士とハイド氏、ミイラ男、せむし男などを演じており、モンスターでやってないのはフランケンシュタインの怪物くらいかな。でも、恐怖映画だけじゃなく、喜劇やシリアス・ドラマにも出演してるんだよ。
――狼男のメイクアップには、どの位かかるのですか。
ナッチー:4〜6時間かな、マスクをかぶるということはしないから時間がかかるんだ。狼男というのは、男爵と狼男の二役をやれるので、とても素晴らしい役だよ。
――タフでなければ、つとまりませんね。ナッチーさんは、重量挙げのチャンピオンだとうかがいましたが……。
ナッチー:そう、スペインのチャンピオンでね、ローマ・オリンピックでは6位に入賞したよ。東京オリンピックにも出場するはずだったんだけど、けがをして出場を断念した。
――次に、スペイン映画の現況について話して下さい。
ナッチー:よくないね。コストが高くなっているので、映画を製作することは難しくなっている。スペインだけでは製作費がまかなえなくなっているので、外国との合作も盛んだ。昨年は180本が製作され、そのうちの50本が合作だ。日本のような大会社はなく、ダルマタのような中小プロがほとんどだ。だから、私は南米のスペイン語国を始め、世界の各地で上映されるということを頭に入れ、題材もミステリー、恐怖もの、アクションというように全世界に通用するものを心掛けて、映画を作っているんだ。
――日本では、毎年映画の観客が減少しているんですが、スペインではどうなんですか。
ナッチー:よくもなく悪くもない、現状維持というところだね。娯楽のなかでの映画の位置はなかり高いところにあるといってよいのじゃないかな。
天知:この前、スペインに行って感じたことは、日本ほどTVが普及してないってことですね。受像機が高いせいもあるんでしょうけど、スペインでは夜遅くまで陽が落ちないので、みんな外で食事をしたりしてTVを見る習慣が日本ほどないんですね。ある通りには、ずらりと映画館が並んでいたりして、なかなか盛んですよ。
武田:土曜、日曜になると、ずらりと並んでいて、入れないことが多いですね。
――入場料はどの位ですか。
ナッチー:一流館で250ペセタ(約600円)ですね。
天知:スペインと日本で大きく違うのは、商店が1時半から4時半まで閉まることですね。いわゆる昼寝の時間ってやつですか。
武田:そうですね。映画館の方は日曜と祭日は、4時半、7時、10時の3回上映し、ウィークディは7時と10時の2回です。劇場も日本よりもずっときれいですしね。
――ジャンルわけすると、どんな映画があるんですか。
ナッチー:今ではフランコ総統時代には許可されなかったような政治的作品も作られています。
天知:ポルノもありますよ。ただ、どこで上映しているのかがわからない。日本のような派手な看板があるわけじゃないんです。この前、ぼくがとまったホテルの隣に映画館があって、香港のカンフー映画をやってたんですが、看板の女性のおっぱいの所に横線が入ってたりしてましたね。公共の目にふれる所では、隠しているようですね。
――スペイン映画は大体どの位で作られるのですか。
ナッチー:準備に3ヶ月、撮影に5週間、そしてポスト・プロダクションに2ヶ月ってとこかな。TVの1時間ものでも同じ位の日数をかけて作っている。というのも、なにしろTVは国営で金が余っているからね。だからTV作品でも35ミリで撮影し、ビデオは舞台中継を除いてほとんど使われていない。
――製作費は。
武田:邦貨にして、7000万から8000万円ですね。
――外国映画とスペイン映画の比率はどうなってますか。
ナッチー:スペイン1に対して、外国3の割合かな。これらの外国映画はすべてスペイン語に吹き替えて上映されている。
――ラ・ポーチャさんは本名がフリア・サリネロ、ラ・ポーチャというのはフラメンコ・ダンサーとしての芸名なんですね。
ラ・ポーチャ:そうです。最初はクラシック・バレーを習い、12歳の時にフラメンコに転向しました。
――映画界に入られたのは、いつ頃からですか。
ラ・ポーチャ:18のときですか、スペイン=フランス合作の「遊撃隊」という映画に主演しました。以後、多くの映画に出てますが、すべて俳優としてで、ダンサーとしてではありません。天知さんとは、NETの「孤独の賭け」というシリーズで共演してます。ナッチーとは「宗教裁判」「畜生どものカーニヴァル」「帰って来た狼男」など7本で一緒に仕事をしましたが、とても厳しい人です。役になり切ってないと何度もやり直しをさせるので、泣いたこともありました。
ナッチー:彼女は素晴らしいプロ根性の持主だよ。ダンサーだから体格もいいし、アクションもこなせるしね。
――ナッチーさんは、今まで何本の映画をとられてきたんですか。
ナッチー:主演作が60本、監督作品は10本です。「プラド美術館」が最初のドキュメンタリー作品で、その後、「マドリード王宮」「エル・エスコリアル離宮」を撮っている。(「プラド美術館」は、81年にホリ企画制作が製作、ダルマタ・フィルムが製作協力にあたったドキュメンタリー。マドリードにあるプラド美術館に初めてカメラを入れ、同館におさめられているエル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの三大巨匠を始めゴシックから新古典主義までの名画の数々を撮影した作品。バックにスペインのメロディが中林淳真のギターで流れて画面を盛りあげている)
――影響を受けた映画人はどんな人たちですか。
ナッチー:フランス映画にとても影響されたね。監督では、ジョン・ヒューストン、ロマン・ポランスキー、テレンス・フィッシャー、アルフレッド・ヒッチコックだね。
――今日、「東海道四谷怪談」を見られて、どう感じられましたか。
ナッチー:とても気に入った。23年前に作られたものとは思えないほど色がきれいだし、動きがなめらかだね。名作というのは毎年毎年、もとにもどってゆく、お客がそれを要求するんだ。外国の恐怖映画祭に出品するといいよ。
天知:今までスペインでロケした日本映画は少なくないと思うんですが、「第三の女」のナッチーさんのようなスペインのスターが出演したのは初めてなんですね。そういう意味で、日本とスペインの友好関係はこの関係から始まると言えるんじゃないでしょうか。
――天知さんは、劇場映画に出られないんですか。最近はもっぱらTVの明智小五郎役で親しまれてますけど。
天知:出たいんですけどねー。どうも、今の映画界では、私のやれそうな役がなくて。実は来年、劇場映画を1本企画してましてね。原作は江戸川乱歩、そして監督をナッチーさんにやってもらおうかと思ってるんです。監督を外国の人にやってもらうという形の合作があってもいいんじゃないんですか。
*写真は、素顔のナッチーさん(&映画から何枚か)、スペイン・ロケ中の天っちゃん&ラ・ポーチャさんのスナップショットがついている。
*字面だけ追っていると大物対談という感じがしないでもないが、そこはかとないB級感がぷんぷん匂ってくるのはなぜなんだろう。
*たしかにアイドル作品やアクション作品、オールスターキャスト系大作が多かった当時の映画界では、どのジャンルでも浮いてしまいそうな天っちゃんのやれそうな役(もしくはやりたい役)がなかったのも頷ける。それにしても、乱歩原作の映画を作るはずが、結果的にナッチーさんに主導権を握られた形になってしまったあたりの人の良さというか押しの弱さめいたところも、魅力(?)のひとつではある。というより天っちゃん、視点がマニアックすぎるんじゃないのか(おっぱいの横線チェック含む)
*翌年(83年)の元旦に濃厚極まりない2時間半スペシャル(「天使と悪魔の美女」)があったのは、映画化できなかったリベンジだったりして?
(2007年5月14日)