父と煙草週刊文春 : 1985(S60)5月2日号:54歳
けむりばなし(4) 天知茂
父と煙草
私の一日の喫煙量は五十本から六十本。ヘビースモーカーの部類に入るだろう。
私の父もやはりそうだった。士族であることを誇りとしていた侍風の父だったが、末っ子の私には甘かった。時として抱き上げてくれる父の私にふりかかる息が煙草臭かった。
戦争中、いろんなものが統制下に置かれた。煙草もそうだった。何日おきかに売り出される煙草を沢山の人が長い列を作って買い求めた。一人につき何本の割当てだったかは忘れたが、買い溜めをする為に家族みんなが並んだものだ。そうして買った煙草を、父は三つくらいに切って煙管で吸っていた。一度に一本全部を吸い終ってしまうのは勿体なかったのだろう。でもうまそうに吸っている父の煙管姿は、なかなか板についていたことを思い出す。
やがて戦争はますます過激となり、空襲が始まった。もうそんな頃ともなると、煙草を買うこともままならず、又死を賭けた生きることにせい一杯だった。そんな時にこそ、さぞ一服の安らぎを父はきっと欲しかったに違いない。家を空襲で焼失し、田舎に引っ越した。山に囲まれた町だったが、父は時として山に上り、何やら木の枝やら葉っぱを拾い集めて来た。それがどんな種類のものかは知らないが、丁度煙草くらいの太さの枝を、適当な長さに切り火を付けた。
「こいつは煙草の味に近い」
そういう父を見て、何を馬鹿な……と云う風な母の表情を私はよく覚えている。
枝ばかりではない。葉っぱも煙草の替りだった。しかしあまり長続きしなかったところを見ると、やはり煙草の味にはほど遠かったのだろう。そんな父を見て、本当の煙草を吸わせてやりたいと思った。
やがて戦争が終り、本当の煙草を吸える時が来た父の表情は明るかった。今、私がそんな時代に直面したら、どうするだろうか……。
(俳優)
*「部類に入るだろう」どころではないヘビースモーカーな天っちゃん。今存命中だとしたらほんとにどうしていただろうか。
(2006年10月23日:資料提供・naveraさま)