-- トラウマの天知茂 --

「男は度胸」放映リスト

放送年月日 出演 あらすじ(読売新聞引用)
1 1970.10.9   【意欲作だが中途半端】 人気を集めた高橋英樹にかわって浜畑賢吉が登場、八代将軍・徳川吉宗にふんし、半生を演ずる時代劇。原作は柴田錬三郎の「徳川太平記」で小野田勇の脚色。ドラマは開幕そうそう、新之助(のちの徳川吉宗)と宿命のライバル、浪人者・山内伊賀亮(寺田農)の対決シーンからはじまる。続いて新之助が強盗の人質となった庄屋の娘・志乃(吉沢京子)を救い出そうとして、逆に伊賀亮に助けられるエピソード、その伊賀亮がいとこの多藻(三田佳子)にひと目ぼれしたことから新之助が、多藻への愛情に突然目ざめるくだり。さらにその多藻から自分の出生の秘密をきいた新之助が、紀州藩主・光貞(坂東三津五郎)と対面を果たすまでで第1回は終わっている。さまざまな様式、考証にとらわれない、新しいタイプの時代劇を作ろうという製作意図は、リアルな人物設定、セリフまわしからくみ取ることはできる。確かにその意味からは、NHKの歴史ドラマとしては新生面を切りひらいた作品といえよう。しかし、史実に基づいたドラマだけに、すべての面で型破りの時代劇とはいい切れない。また娯楽性に徹した作品とも評価できない。そのもどかしさ、中途半ぱな印象が、こんごどう処理されるかが気にかかる。主演の浜畑は、ややスケールは小さいが、のびのびした演技で若殿さまを演じている。
2 1970.10.16   正月の祝賀に親子の対面を果たした新之助(浜畑賢吉)は、正式に紀州家三男として迎えられた。新之助に出生の秘密を漏らして後悔する多藻(三田佳子)に、伊賀亮(寺田農)は接近するが失敗する。そして天心独明流再興をもくろみ、道場主の娘・須磨(波野久里子)とともに江戸へ旅立つ。
3 1970.10.23   新之助(浜畑賢吉)は嘉吉(笑福亭仁鶴)を連れ、参勤交代で江戸へ行く紀州候光貞(坂東三津五郎)とは別行動をとり、気ままな初旅を楽しんでいた。ところが浪人に追われる武家娘千賀(長谷川稀世)を救おうと、男気を出すところから、新之助の命をねらうわなにおちこむ。
一方、伴作(寺尾聡)を供にした多藻(三田佳子)、伊賀亮(寺田農)と須磨(波乃久里子)も、それぞれ江戸をめざして旅を重ねていたのである。
4 1970.10.30   京都の三条大橋で新之助(浜畑賢吉)の前に立ちはだかった怪僧鉄心(小松方正)は、新之助に剣難、女難の相があるという。つきまとう鉄心を振り切って宿へ着いた新之助は、待ち受けていた紀州の庄屋の娘志乃(吉沢京子)に江戸へ連れて行ってくれとせがまれる。そして新之助、嘉吉(笑福亭仁鶴)、志乃が鈴鹿峠にたどり着いたとき、姿を現したのは怪僧鉄心と、以前に武家娘を使って新之助を殺そうとした横山泰十郎(戸田晧久)の一味だった。
5 1970.11.6   江戸へ出た新之助(浜畑賢吉)は、ひょんなことから、浅草でスリの七之助(三木のり平)や浮世絵師・多賀朝湖(松村達雄)と知り合い、紀ノ国屋文左衛門(森繁久弥)から五万両を借りるため、知恵を借りることになる。だが、尋常な手段では目的が達せられないと考えた新之助らは、文左衛門の相方のおいらん千町太夫(西尾恵美子)を奪おうという無茶な計画を立てる。
6 1970.11.13   江戸へ着いた新之助(浜畑賢吉)は、念願の実母・高の方(宝生あや子)と対面する。そこへ紀文(森繁久弥)が約束の五万両を持ってきた。光貞(坂東三津五郎)は新之助の才覚をほめるが、新之助は紀文の太っ腹のためだと謙虚に語るのだった。そのころ、多藻(三田佳子)も伴作(寺尾聡)も江戸に着いていた。また、伊賀亮(寺田農)と須磨(波乃久里子)も江戸に来て、長屋でひっそりと暮らしていた。
7 1970.11.20   新之助(浜畑賢吉)は江戸城に召され、将軍・綱吉(中村伸郎)に会い、型破りな言動が気に入られ上々の首尾で退出する。そのころ堀部安兵衛(中尾彬)は勅使接待のため、一夜のうちに増上寺宿坊の畳二百枚を替えるため、多藻(三田佳子)の口ぞえで、築地の畳屋で頭を下げていた。新之助の子を身ごもる多藻を見ている伴作(寺尾聡)は、大岡忠相(米倉斉加年)の禁を破り、多藻を新之助に会わせる。
8 1970.11.27   江戸城で碁を囲んでいる綱吉(中村伸郎)と新之助(浜畑賢吉)のところへ、浅野内匠頭(片岡孝夫)の刃傷が伝えられ、負け碁でいらいらしていた綱吉は浅野に切腹を申しつける。新之助は碁が処分を左右したのではないか、と心を痛める。一方、多藻(三田佳子)は伴作(寺尾聡)とともに、品川へ大岡忠相(米倉斉加年)を出迎えていた。忠相との誓いを破り、新之助と会ったことを告白するためだった。
9 1970.12.4   松の廊下の刃傷事件から半年、赤穂浪士の復しゅうが取りざたされる江戸の町で、志乃(吉沢京子)が野犬に襲われたので、嘉吉(笑福亭仁鶴)が棒で野犬をたたきのめすところを犬目付に発見される。青くなって逃げて来た二人をかばった新之助(浜畑賢吉)は、役人に対して二人の引き渡しをこばみ、取り物術に巧みな伴作(寺尾聡)を呼んで対策を練る。その翌日、将軍の生母・桂昌院は護国寺に参けい、突然襲ってきた野犬を柳沢吉保(二谷英明)は思わず切り捨てるが「お見事」と声をかけ現れたのは新之助だった。
10 1970.12.11   大石内蔵助(中村翫右衛門)が上野の寺院近くへ来たとき、不意に伊賀亮(寺田農)が切りつけるが、通りかかった上杉家の剣客・小林平七(和崎俊哉)が助勢、高田郡兵衛(高橋長英)、堀部安兵衛(中尾彬)も駆けつけたので、伊賀亮は退散する。そのころ、新之助(浜畑賢吉)は兄綱教(林成年)に命じられて謹慎していた。
11 1970.12.18   堀部安兵衛(中尾彬)、高田郡兵衛(高橋長英)の二人は、吉原にいつづける大石内蔵助(中村翫右衛門)をたずね、みんなの前で大石をののしり、なぐりつけるのだった。今回は同志のいらだちをよそに、吉原で遊びほうける大石内蔵助の周辺を描く。
12 1970.12.25   元禄15年12月14日の雪の夜、大石内蔵助(中村翫右衛門)は、故浅野内匠頭の後室瑤泉院を訪れ、連判状を渡し、それとなく別れを告げた。今回は11月27日から5回にわたり放送した“赤穂浪士シリーズ”の最終回。南部坂雪の別れをはじめ、数々の義士外伝が登場する。このほか、大岡忠相の強い勧めで、新之助(浜畑賢吉)の前から姿を消す多藻(三田佳子)、別れを告げに須磨を訪れて伊賀亮に傷を負わされ、討ち入りに遅れた高田郡兵衛(高橋長英)らを描く。
13 1971.1.8 宝永元年正月、新之助(浜畑賢吉)は七之助(三木のり平)を連れ、鎌倉の鶴岡八幡へ初もうでに出かけた。茶屋で紀ノ国屋文左衛門(森繁久弥)を待っていると、若衆姿の夕姫(井上清子)が“若様”と呼びかけ、宿坊に案内するという。夕姫たちが島原の乱の残党で、お家再興のため策謀しているとは知らなかった。/(夕刊)今夜から5回にわたって将軍継承にからむ柳沢騒動と、島原の乱の残党高力家再興をめぐる事件を描く。
14 1971.1.15 新之助(浜畑賢吉)と志乃(吉沢京子)は、旗本・土屋主水之助(天知茂)を訪れた。島原の残党に襲われたとき、救われた礼に来たのだった。だが、その帰途、新之助は道ばたに倒れていた武士を発見する。それは主水之助のおい・伊織(小川真司)だった。新之助は逃げてゆく武士を追ったが、待ち受けていたのは、島原の残党の的矢民部(城所英夫)と夕姫(井上清子)だった。
15 1971.1.22 ナゾの陰謀に巻き込まれた新之助(浜畑賢吉)は、そのカギを握る夕姫(井上清子)を追うが、待ち構えていたのは宿敵・山内伊賀亮(寺田農)だった。新之助は切り立てられ、危ういところを土屋主水之助(天知茂)に救われる。一方、多藻(三田佳子)は、筝曲の名人・月の輪検校(佐々木孝丸)から愛を告白される。/(夕刊)島原残党を追った新之助は宿敵・伊賀亮の凶刃に追い詰められ、多藻も月の輪検校の横恋慕に悩まされる。
16 1971.1.29 新之助(浜畑賢吉)は七之助(三木のり平)とともに、蝦夷へ旅立つ嘉吉(笑福亭仁鶴)を見送る。しかし、いつの間にか七之助はいなくなり、現れた夕姫(井上清子)は、この事件のすべてを忘れてくれれば、家臣たちにも手を引かせるという。/(夕刊)新之助は島原一党のわなに落ちた。そのころ多藻も伊賀亮に手足をしばられ自由を失っていた。
17 1971.2.5 春の江戸は上方の名優・坂田藤十郎(猿若清方)の初下りのうわさで持ち切りだった。が、島原残党に捕えられた新之助(浜畑賢吉)の行方は、土屋主水之助(天知茂)らが努力しても、わからなかった。そのころ島原残党の中では、新之助を殺そうという的矢民部(城所英夫)と夕姫(井上清子)が対立していた。ある夜、新之助の獄に忍び込んできた者があった。
18 1971.2.12 宝永元年、次期将軍は綱豊(加藤和夫)と決まり、破れた綱教(林成年)は、江戸に残って勉強したいという新之助(浜畑賢吉)を勘当、紀州へ帰ってしまう。新之助は大岡忠相(米倉斉加年)、七之助(三木のり平)らと自活しようと相談する。そのころ、伊賀亮(寺田農)からのがれた多藻(三田佳子)は、ばあやお民(菅井きん)の長屋で、病床にあった。
19 1971.2.19   花盛りの江戸。紀文(森繁久弥)は老中・柳沢吉保(二谷英明)をたずねた。権勢の揺らぎつつある吉保は、自分を見切る気かと考えるが、紀文は間部(根上淳)の献金を断ったことを告げ、吉保にも引きぎわの大切さを説く。そのころ、京都の八坂神社境内では、新太郎(山辺孝司)の人相を見た山伏(加藤武)が、“この子は大物になる”と多藻に告げていた。一方、花見に出かけた新之助(浜畑賢吉)と大岡忠相(米倉斉加年)たちは、かたき討ちにまきこまれていた。
20 1971.2.26   将軍家世継ぎが甲府宰相に決定、紀文(森繁久弥)は店をたたんで江戸を離れた。新之助(浜畑賢吉)も紀ノ国屋を離れ、忠相(米倉斉加年)の治療に専念するため、伴作(寺尾聡)らとともに蛇骨長屋へ引っ越す。そのころ、多藻(三田佳子)と新太郎(山辺孝司)は、大阪から紀州へ向かう船に揺られていた。
21 1971.3.5   淀屋辰五郎(中村鴈治郎)は、間部詮房(根上淳)に呼ばれ、幕府財政窮迫のため、淀屋の幕府に対する二千万両の貸し金を棒引きにするよう命ぜられるが、きっぱり断る。同じ間部邸に来ていた伊賀亮(寺田農)は、間部の娘・雪路(梓英子)をあっという間に抱き寄せていた。一方、新之助(浜畑賢吉)は蝦夷で仕入れたコンブやカズノコを江戸へ積み出したい、という嘉吉(笑福亭仁鶴)を淀屋に紹介する。
22 1971.3.12   愛宕神社境内では、伊賀亮(寺田農)と天忠和尚(大滝秀治)の一味が、間部の娘・雪路(梓英子)を待ち伏せていた。雪路を襲い、伊賀亮が助ける芝居で、間部に取り入る計画だ。その数日後、同心となった伴作(寺尾聡)は、隠亡堀で殺された医者の事件を扱うことになったが、付近で発見された医者の下男・直助(小林寛)らしい男は、顔面が無残につぶされていた。
23 1971.3.19   新之助(浜畑賢吉)と伴作(寺尾聡)は、隠亡堀でうなぎかきをする男(小林寛)をとらえ「直助か?」と問いただすが、男は顔のやけどを示して自分は権兵衛だという。伴作たちは、忠相(米倉斉加年)の意見で、権兵衛の首実検役を頼みにお艶をたずねるが、彼女は家をたたんで姿を消したあとだった。新之助と忠相はおくま(野川由美子)をお艶に似せ、権兵衛のうなぎ屋へ出かける。
24 1971.3.26   新之助(浜畑賢吉)は和歌山城へ帰ってきたが、綱教はすでに5日前になくなり、ちょうど葬儀が行われようとしていた。江戸では忠相(米倉斉加年)が、綱教がなくなれば新之助に家督相続のおはちが回りそうだ、と考えていた。果たして隠居の光貞(坂東三津五郎)は、二男・頼職が病弱であるところから、新之助に家督を継がせようとする。が、加納五郎左衛門(笠智衆)を除く重臣たちは、頼職を支持し藩論は真っ二つに分かれる。
25 1971.4.2   将軍・綱吉(中村伸郎)の裁断で紀州藩の当主となった新之助(浜畑賢吉)は、お礼言上のため江戸へ向かう。途中、京で姿を現した巡礼のお玉(中山千夏)は、新之助を落ちぶれた公卿の娘・理子(みちこ)姫(樫山文枝)に会わせる。新之助は公卿の苦しい実情を知るとともに、姫の雄々しさに打たれる。一方、伊賀亮(寺田農)は、自分の慕う詮房の姫・雪路(梓英子)に、縁談が起こっていることを知らされる。
26 1971.4.9   吉宗(浜畑賢吉)は、尾張中納言名代の通顕(あおい輝彦)を迎え意気投合した。大名家の婚姻が政略の具になっているのは残念だと意見が一致したのである。一方、紀州床の小猿七之助(三木のり平)を訪れたお玉(中山千夏)は、理子姫(樫山文枝)が吉宗のもとへとつぎたいと考えている、と理子姫の意中を伝える。そのころ伊賀亮(寺田農)はどん底にあえいでいた。
27 1971.4.16   伊賀亮(寺田農)は浪人・畔倉重四郎(丹羽又三郎)と尾張家の御用金行列を襲うため箱根の山道を歩いていた。峠の茶店には仲間のおしん(夏川かほる)が待っていた。そのころ、江戸の紀州上屋敷では、吉宗(浜畑賢吉)と香澄宮理子(樫山文枝)の婚礼の儀が行われていたが、三々九度のさかずきをかわず吉宗は、何かに耐えているようなきびしい表情だった。
28 1971.4.23   婚儀を終わった吉宗(浜畑賢吉)は、理子(樫山文枝)を伴って紀州へ向かう。途中、尾張藩では藩主・吉通(中村孝雄)が、定めを無視して正室を国元へ連れ帰る勇気をほめる。そのころ、多藻(三田佳子)は尾張宿の宿について、伊賀亮(寺田農)のいる犬山を目ざしていた。
29 1971.4.30   多くでは家宣の第四夫人・月光院(磯村みどり)が、江島(岡田茉莉子)の助けを得て権力を張り、家宣の正室だった天英院(東郷晴子)も押され気味。ある日、お忍びで紀州床を訪れた吉宗(浜畑賢吉)は、やくざに追われた女を救うが、それは高田郡兵衛に死なれた須磨(波乃久里子)だった。須磨から大奥の女中たちがご禁制の芝居小屋に立ち入ると聞き、吉宗は放置できないと考える。
30 1971.5.7   芝居茶屋で交竹院(菅井一郎)は、白けた空気をとりつくろうため、生島(中村扇雀)に芸を所望するが断られる。そうした男らしさに江島(岡田茉莉子)は心をひかれる。一方、江戸城では吉宗(浜畑賢吉)が、大奥の乱れについて自分が調べた結果を、井伊掃部頭(河野秋武)に報告していた。
31 1971.5.14   江島生島事件でワナに落ちた江島(岡田茉莉子)は、宮路(木村俊恵)や交竹院(菅井一郎)との対決を希望するが、ろうへ忍んできた大目付役・稲生正武(生井健夫)は「生島(中村扇雀)は死罪に決まった。心証を悪くしないよう、お前も余計なことをしゃべるな」と口を封ずる。一方、大老・井伊掃部頭(河野秋武)は強引に事件の取り調べを進めるが、そのうしろで吉宗(浜畑賢吉)は、事件の成り行きを見守っていた。
32 1971.5.21   (夕刊)伊賀亮と赤川大膳は吉宗失脚をねらう。だが吉宗はそれとは知らず将軍後見役を引き受ける決心をしていた。
33 1971.6.4   家宝のつぼが盗まれた紀州屋敷は大騒動。そのから井戸に盗んだ伊賀亮と大膳はつぼを抱いてひそんでいた。
34 1971.6.11    
35 1971.6.18 朝起きた山伏たちは、しばりつけたはずの天一坊(志垣太郎)のかわりに、権大僧都(西沢武夫)がしばられているのを見て驚く。そのころ天一坊を助けた怪盗・雲霧仁左衛門(フランキー堺)は、島原のくるわへ小夜(永野裕紀子)を迎えに行く相談をしていた。一方、吉宗(浜畑賢吉)は、わが子天一坊の運命も知らず、身ごもったという理子(樫山文枝)をいたわっていた。
36 1971.6.25 吉宗(浜畑賢吉)のもとへ隼人正(久米明)から届いた書状には、松平館の不穏な情勢がのべられていた。隼人正は幕府の使者として松平館を訪れていたのだが、門内では伊賀亮(寺田農)が無気味な笑みを浮かべていた。館の主・松平親正(鈴木瑞穂)に会った隼人正は、親正の不穏な行動を責めた。館の武者だまりには、やとわれた仁左衛門(フランキー堺)や天一坊(志垣太郎)もまじっていた。
37 1971.7.2 松平館から落ちのびた伊賀亮(寺田農)たちは、お墨付きとわき差しを見て、天一坊(志垣太郎)が吉宗(浜畑賢吉)の落いんであることを知る。一方、紀州家上屋敷では、吉宗が松平館より帰った土屋主水之助(天知茂)をねぎらい、お庭番になって隠密役を引き受けてほしい、と依頼していた。
38 1971.7.9   将軍宣下の式を終えた吉宗(浜畑賢吉)は黒書院に出座「将軍職を継いだのは天下の政治を立て直したいからだ。自分は天下のあばれん坊になり改革を進める」と、あいさつしてみんなを驚かす。吉宗が将軍になったという情報は、美濃山中にも届いた。伊賀亮はそこで何事かを画策し始めた。
39 1971.7.16   将軍吉宗(浜畑賢吉)は幕政改革のため、大岡忠相(米倉斉加年)を町奉行に任じる。これは異例の抜てきである。一方、美濃山中に隠れ住む伊賀亮(寺田農)らは、天一坊(志垣太郎)に逃げられて閉口していた。ご落いんを世に出す遠大な計画が、とんざしそうになったからである。それとは知らず、忠相は伴作(寺尾聡)に命じて、多藻(三田佳子)を捜させる。
40 1971.7.23   多藻(三田佳子)は、天一坊(志垣太郎)をたずねて美濃山中にはいるが、きこり小屋はすでにもぬけのからだった。そのころ天一坊と小夜(永野裕紀子)は、諏訪湖のほとりで途方に暮れていた。それを見た水芸人風の女(森光子)が「悪いりょうけんを起こしてはいけませんよ」と声をかけた。駈け落ち心中をするのではないか、と見たのである。一方、正室のない吉宗(浜畑賢吉)に、側室をという話が持ち上がっていた。
41 1971.7.30   伊賀亮(寺田農)が春菜(梶芽衣子)を切ろうとしたとき、横からとめたのは藤井左京(戸浦六宏)だった。左京は幕府に滅ぼされた松平館のあるじだったが、自分を仲間にしないと、十万両は幕府へ渡す、といって伊賀亮に迫るのだった。そのころ、天一坊(志垣太郎)は小夜(永野裕紀子)とともに、女軽わざ師お蝶(森光子)の一座にいた。
42 1971.8.6   タカ狩りに出た吉宗(浜畑賢吉)は百姓娘・お紺(今陽子)の新鮮さに強くひかれた。天英院(東郷晴子)や老中は、世継ぎをもうけるため、側室を迎えるよう吉宗に迫った。だが、多藻(三田佳子)を捜しに旅に出た伴作(寺尾聡)からは、何の報告もない。忠相(米倉斉加年)は、吉宗に好きな女を側室に迎えるように勧める。
43 1971.8.13   野育ちのすこやかさを見込まれ、吉宗(浜畑賢吉)の側室となったお紺(今陽子)は、吉宗や重臣たちの期待にこたえて男の子を出産。一方、大岡忠相(米倉斉加年)の報告によるとご落いんと名のる者は、徳川天一坊と称して、アオイの紋を使用し家臣数十人を従え大阪中の評判を呼んでいるという。吉宗は、それが自分のこどもの新之助かどうかを、忠相に調べさせる。
44 1971.8.20   清閑寺大納言(細川俊夫)に招待された天一坊(志垣太郎)は、伊賀亮(寺田農)や藤井左京(戸浦六宏)を従え、輝姫(林清子)のたてた茶を見事な作法で飲み、吉宗(浜畑賢吉)を慕う歌を詠じて一同を感嘆させる。そのころ、母親の多藻(三田佳子)は、天一坊のうわさを聞き、一目会いたい思いに駆られていた。
45 1971.8.27   天一坊(志垣太郎)が大阪城代や京都所司代の取り調べを乗り切ったので、吉宗(浜畑賢吉)は老中を集めて評定を開く。その席上大岡忠相(米倉斉加年)は、老中の調査に先立ち、自分が下調べをしたいと申し出る。ご落いん出現の波紋は大奥にもひろがり、世子長福丸づきの中ろう八汐(稲野和子)は、将軍家世継ぎの問題を心配して、水野和泉守(渡辺文雄)に相談をもちかけた。
46 1971.9.3   政治の改革をめざす吉宗(浜畑賢吉)は、洋学の解禁を指示するとともに、大岡忠相(米倉斉加年)のところへ来ていた青木文蔵(三上左京)に蘭学の勉強を命じる。そのころ天一坊(志垣太郎)は、小田原に着いていたが、ぶらりと伊賀亮(寺田農)をたずねてきたのは、酔いどれ坊主の天忠(大滝秀治)だった。
47 1971.9.10   江戸を目前にした天一坊(志垣太郎)の前に、お秀(鳳八千代)という女が現れた。自分が天一坊の実母だという。天一坊も、この話を聞いた吉宗(浜畑賢吉)も、不安にいらだたずにはいられなかった。そのころ大岡忠相(米倉斉加年)は天一坊を救出するため、火消し姿となって七之助(三木のり平)とともに小田原へ潜入していた。
48 1971.9.17 忠相(米倉斉加年)が調べあげた天一坊(志垣太郎)の周辺は、薄暗い霧に包まれていた。吉宗(浜畑賢吉)の実子に相違なさそうだが、伊賀亮(寺田農)や左京(戸浦六宏)たちは油断のできない人間である。そのころ、天一坊は品川に到着、また、嘉吉(笑福亭仁鶴)と結ばれた須磨(波乃久里子)も、品川沖に来ていた。二人の祝言を吉宗や忠相に伝えるためだった。
49 1971.9.24 身上調べのため土屋相模守(川久保潔)の役宅へ来た天一坊(志垣太郎)は、そこに忠相(米倉斉加年)の姿を発見、ほほえみかけるが、忠相の態度は意外にも冷たい。証拠の品々は確かに吉宗(浜畑賢吉)の与えたものに相違なかったが、「ご落いんと認めるか」と迫る伊賀亮(寺田農)に対し、忠相は「確答はいたしかねる」と突き放すのだった。
50 1971.10.1   天一坊(志垣太郎)たちは再吟味のため、江戸城へ呼び出されることになった。上意書を見た伊賀亮(寺田農)は、自分たちを松平館の残党として処罰しようとする幕府の腹を読んでいた。その夜、雲霧仁左衛門(フランキー堺)は、吉宗(浜畑賢吉)側の証言をする前に、藤井左京(戸浦六宏)により暗殺された。吉宗と忠相(米倉斉加年)は、不利な態勢を立て直す間もなく、天一坊たちを対決しなければならなくなった。/写真キャプション:多藻(三田佳子)は天一坊(志垣太郎)が吉宗の子でないといい切った。

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