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若気の誤ちで結婚十二年マダム : 1969(S44)10月号:38歳
〈うちの奥さん〉
若気の誤ちで結婚十二年
天知茂

“女房を語る”などというのは、苦手中の苦手である。マスコミの影響で、さも“模範亭主”のように思われているらしいが、実はまっ赤なウソ。僕ほど、家庭を無視している亭主も、そうざらにはいない。

一週間のうち、四日は関西で仕事をする。あとの三日も、家にはほとんどいないといったほうがよい。女房と顔を合わせている時間は、寝る時間を除くと、一週間に七、八時間くらい。これでは、女房にとっても、亭主があって、亭主がいないようなものだろう。

時間的に忙しいというだけではなく、そもそも家庭サービスなるものを、する気がないのである。たまに休みがとれても、それは僕自身の休養のためであり、その他のことは二の次である。

といっても、女房と子供にしてみれば、待機していた休みの日だから、そうやすやすと休ませてはくれない。

家にいれば、やはりなんらかの家庭サービスを強要される。それがイヤだから、一人でサッサと出かけてしまう。

そもそも、結婚するということは、若気の誤ちみたいなものだ。そうでなければ、結婚する奴などこの世にいないだろう。誰しも、結婚する時は、相手が理想の女性に思えるものだ。それが若気のいたりなのである。

物事の分別がつくようになれば、それだけ視野も広くなるし、人の長所や短所も冷静に判断できるようになる。少なくとも“アバタモエクボ”という気持にはなれない。そうなってからでは、結婚する勇気などなくなるのも当然であろう。

ともかく、僕も若気の誤ちで結婚して、すでに十二年。女房とは、新東宝のニューフェイスの同期生である。どちらも名古屋出身で、そのつながりからか、何となく親しくなった。当時の僕は、映画の気ちがいで、頭の中は映画のことしかなかった。映画の解説をしてみたり、映画の歴史を喋ったり、朝から晩まで、映画、映画……。そんな僕の話を、飽きもしないで聞いてくれたのが彼女である。わかったんだかわからないんだかしらないが、最後まで熱心に聞いてくれた。

そんなつきあいが五年ほどあって、ごく自然に結婚したのである。

それ以来、家庭のことは、いっさい女房にまかせっきりで、僕は仕事だけに没頭している。役者は、特に僕のような役者には、生活くささや、所帯じみた感じがあってはならないと思っている。そういう大義名分のもとに、まったくわがままな亭主になりきっている。

そんな僕を、理解してくれているのか、あきらめているのかは知らないが、今のところ何も不都合はない。もっともそう思っているのは僕のほうだけなのかもしれないが……。

ときどき、女房は喧嘩をふっかけて来る。まるで機関銃が火をふくごとく、バリバリバリとくる。しかし、それも台風と同じで、通りすぎてしまえばカラッとした青空になる。それが、わかっているので、ただだまって、静かに通りすぎるのを待つことにしている。これが、女房に対する最高、いや二番目ぐらいのサービスなのである。

僕にとって、女房はよきハウスキーパーであればよい。彼女は充分満足できるハウスキーパーである。その上にドッカとあぐらをかいて僕はわがままをしているのである。世間並みに、旅行に連れていったり、結婚記念日にプレゼントをしたりして、女房のご機嫌を取ることに精だすよりも、満足のいく仕事をすることが、女房を幸せにすることだと信じているからだ。

“これ”といった喧嘩がないのも、そういうタネをつくらないから。考えてみれば、結構女房孝行なのかもしれない。

純代夫人「悪ぶっているけど、思いやりのある亭主なのよ」

*見開きで、右に文章と小さな天っちゃんの写真(ローンウルフの頃でしょうか)、左には一面に奥様の笑顔の写真。最後のコメントがぴりっと効いてます奥様!

*「マダム」は服飾を中心とした婦人総合雑誌で、スカートやジャケットの型紙がついていたり「お肌の手入れ」「焼き魚のコツ」といった特集があったりするのだが、そんな雑誌と天っちゃん、という一見ミスマッチな組み合わせの妙がツボ(そうか、この頃からマダムキラーなわけなんだな!)

(2006年7月5日)
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