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わが母校(雑誌不明、おそらく1979年6月頃):48歳
わが母校
名古屋市立旭丘小学校
天知茂

昭和4年に建った校舎が、いまもそのままでね、つたが這ったりしていい雰囲気。僕の入学したころ(昭和12年)は、まわりは木造の建物ばかりだったから、鉄筋のビルは珍しかったですよ。

さいわい、戦災の被害も最小限にくいとどめて変わってないので、卒業生にとっては懐かしい校舎ですね。

勉強は、あまりというか、殆どしなかったというほうがあたってるかな。それに小さい頃は虚弱体質でしてね、ちょっと具合が悪いと、すぐ「休んじゃいなさい」といわれて。上の兄貴と16も歳が違うし、おふくろは末っ子の僕をもうねこっ可愛がりして……とにかく可愛かったんでしょうね。それだけに、おふくろから受けた影響は大きいですよ。

当時は、遊ぶといったって、凧あげ、コマ回しくらいが普通でね、いまみたいに“おもちゃ”を買って遊ぶ習慣はなかったね。だいいち、そんなもの売ってなかったし。それで、自分たちで工夫して遊んだもんですよ。あとそうね、“紙芝居”は面白かったなあ。なんといっても『黄金バット』がいちばん! あれいまでいえばテレビね、移動テレビ。

おやじは絵を描くのが好き、おふくろは芸事が好きで、僕は画家か役者になるもンだと思ってた。物心ついたころからおふくろに連れられて、毎日映画見てたからね。八千代館っていって3本立てでね、まだ無声映画とトーキーの同居時代。だから僕、無声映画はよく知ってるんだ。映画の楽しさって、格別だったからねえ。

帰りみちに、徳川家歴代の菩提寺で建中寺というのがあって、そこの境内でいま見てきたばかりの映画をまねて遊ぶんだよ、これも飽きなくてねえ、それで僕は、いまだにチャンバラしてるのかな。

《近況》7月スタートの『雲霧仁左衛門』(フジ)は大スペクタクル時代劇だ。8月には梅田コマで『雲霧』と『歌謡ショー』の1カ月公演を行う。

〈写真キャプション〉
・このあたりは、かつて尾張藩の屋敷町で、その名残りは徳川町という地名にもみられる。徳川園の緑がよその町とはひと味ちがう落ち着きを感じさせる。創立は明治5年、7年前の100周年記念のおりは、卒業生の1人として出席、舞踊を披露した。(学校全景と建中寺の写真)
・おやじの血をひいて絵は大好きだった。上の兄貴は二科(写真の部)の会員、家業のすし屋を継いだ真ん中の兄貴の子供が絵描きになっているんです。(ワイズ出版の本にもある、写生中の1年生)

*彼が在学していたころの名前は「山口尋常小学校」。30年たった今ではおそらく校舎も様変わりしているんだろうなあ。

(2009年9月14日)
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